子育ての刑に処す
「オギャア!」
マリア像が見守る中で、予定より11日も遅れて、しかもよりによって稀に見る超難産の末に生まれた長女の綾香は、よくあるドキュメント番組の中で見る赤ん坊のような教科書通りの第一声とともに、外の世界へと招かれた。
なんという出来事だろう。生の誕生というのは、自身がこの星に生まれ落ちた謎を解き明かしているようで、それでもドクターの処置という危険とは正反対の、生かす為の最速の作業の現実が、神秘的な光景を垣間見ると同時にヤケに人間くさく感じたのを憶えている。
一時は母体の中で呼吸停止した娘は、5月23日、おしとやかと言うには程遠い、実の親やペットのプリンを踏みつける事など朝飯前な第一次反抗期の土産を持って、2才の誕生日を迎えた。……
―2年。
この中途半端な旅路の間に、人はどれだけ成長できるのだろうか。娘の成長の早さに時の流れを感じて、それでもそそくさと過ぎていく日常の中で、自分だけが同じ時の交差点で信号待ちをしている砂利の一粒のように感じる。
大人とは、子供とはかけ離れた視点で脳をくすぐる、それでも幼きわが子を正しい方向へ導かねばならない難題を背負っている、義務を命じられた生き物だ。そうでなければ、物心が付いた時に、何か別の道に迷い込んでいることに気付いていながらも、今来た道さえ戻ることのできないまま後ろを振り返ることもなく、ただひたすら目の前にある予感のするオアシスを欲して歩く希望人だ。
正しい答えに触れる事は出来ず、間違いという事実が正解でない事の唯一の証明になっている。
娘が生まれ育ち、共に生活をするにつれて、判明した事がある。それは、子は親の顔色を見て育つという事と、子の反応は親の心電図のような上下する心境を反射する鏡のように、ありのままの運動を反映するという事だ。
自分の発した言葉や仕草で相手がどのような反応をするのか、知る必要がある。
相手を知る事が、自分を知る事にも繋がっているのだ。
自身に語りかけるように、彼女の心に吾が身を投射しよう。
相手が自分だと思えば、誰しも優しくなれるはず。
皆、本当は自分が一番なのだから。……
―7月。
3人と1匹暮らしだった我が家に、一人の男の子が参加する。
この新しい友に、どんな言葉を与えよう。
どんな力で抱きしめよう。
何色の鏡になろう。
共に成長してゆきたい。
子の成長は、己の成長なのだと心に信じて。
※実際の子育ては、99%妻に頼りっきりになっています。
※綾香という字は、歌手の平原綾香さんからいただきました。












